久々に泣きたいから泣けるコピペ

    1以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 21:18:18.72 ID:Oq49oFAG0
    はってくれ


    8以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 21:23:07.69 ID:Xa4DiE8s0
    京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、 認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
    事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
    片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
    片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
    母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
    片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
    生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
    介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
    カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

    最後の親孝行に片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、
    2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
    「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が「すまんな」と謝ると、母は
    「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。

    この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。
    冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。
    肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
    裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
    殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
    目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。


    9以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 21:26:24.34 ID:Xa4DiE8s0

    552 おさかなくわえた名無しさん :2008/10/04(土) 01:26:53 ID:kEGTIebt
    子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。
    それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
    それほど簡単なことを私はしてこなかった。

    



    10以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 21:26:56.29 ID:Xa4DiE8s0

    105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10

    4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
    どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。


    ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

    「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
    「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
    と書いてあったそうだ。
    旦那は去年、交通事故で他界した。
    字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
    受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

    「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
    最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。


    娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。



    12以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 21:53:30.53 ID:139FYLrm0
    >>10アカン


    13以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 21:55:43.69 ID:Xa4DiE8s0
    僕はご主人様に拾われました。
    毎日、おいしいご飯をくれました。
    外で汚れたら、お風呂で洗ってくれました。
    いつも、いっぱい遊んでくれました。
    たまに、イタズラして怒られました。
    けれども、すぐに頭なでてくれて許してくれました。
    ご主人様が泣いて帰った時、僕が慰めました。
    そしたら、いっぱい僕を抱きしめて、いっぱい泣いてました。
    いつも、ご主人様の布団で寝かせてもらいました。
    いつも、ご主人様の暖かさが伝わってきました。僕の体が痛くなって、ご主人様は夜中に走って病院に連れて行ってくれました。
    病院で先生のお話を聞いて、ご主人様泣いてました。
    家に帰っても、ご主人様は泣いてました。
    だから僕はまた、ご主人様をなぐさめました。
    そしたら、ご主人様は僕を抱きしめて、『ごめんねごめんね』っていっぱい泣いてました。

    数日後…僕は体が動かなくなりました。
    ご主人様は僕を抱きしめて、また泣いてました。いつもより、いっぱい僕の名前をよんでくれました。
    ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。

    僕は…少し眠くなりました…
    ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
    ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
    僕は…少し眠くなりました…
    ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
    ご主人様の暖かさがいっぱい伝わりました。
    ご主人様…僕が起きたら、またいっぱい遊んでください。
    僕はすごく幸せです。おやすみなさい。
    僕は…眠りにつきました…


    14以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 21:58:44.32 ID:Xa4DiE8s0

    139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/12/15(木) 01:04:17.55 ID:7+sBTQ0i0
    俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
    見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
    それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
    俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
    母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
    当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

    母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
    特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
    ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
    無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

    しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
    まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

    普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
    人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

    今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
    祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


    その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
    崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。


    15以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 21:59:30.71 ID:Xa4DiE8s0
    ベトナム戦争から家に帰る前夜、青年兵士は自宅に電話した。
    「明日帰るんだけど、他に行くところがない友達を連れて帰りたいんだ。
      家で一緒に住んでもいいかな?」
    息子の帰還報告に狂喜した両親は、勿論!と泣きながら答えた。

    「でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだ。
      彼は地雷を踏んでね、腕と足を失ってしまったんだよ。
      でも、僕は彼を家に連れて帰りたいんだ。」
    その台詞に、両親は押し黙ってしまった。

    「数日ならいいけれど、障害者の世話は大変よ。
      家にいる間に、そのお友達が住める所を一緒に探しましょう。
      あなたにも私たちにも自分達の人生があるのだから、
      そのお友達 の世話に一生縛られるなんて無理よ。」
    やっとのことで母親がそれだけ言うと、息子は黙って電話を切った。

    翌日、警察から電話があり、青年兵士の両親は
    彼がビルの屋上から飛び降りて死んだことを知らされた。

    死体と対面した両親は絶句し、泣き崩れた。


    17以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:00:30.36 ID:Xa4DiE8s0

    237 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 投稿日: 2007/10/26(金) 19:06:27.85 ID:Y1O2bH6d0
    半年ちょい前の俺へ

    そっちは午前4時だな。
    部活で疲れてぐっすりだと思うが、頑張って起きろ
    今から言う事をやってくれ。頼む、お前の為だから。しくじるなよ。

    音をたてないようにしろ、気づかれるから。
    まず、1階に降りて台所から包丁を持ってこい。
    そしてお前のバカ兄貴の部屋の前に行き
    ドアを開けて部屋に駆け込み一撃でぶった切れ。

    バカ兄貴が首を吊ろうとしてる、その柔道の帯で作った輪っかをな。
    そうしないとバカ兄貴が首吊って死んじまうぞ。
    発見した時の光景と母さんの悲鳴はたぶん一生お前の頭から離れなくなる。
    前日まで普通に相談に乗ってもらってた兄貴が次の日には死んでんだぞ
    いなくなるんだ

    あと兄貴に言ってやれ。
    「さんざんアンタをバカにしてきたが、学校じゃ自慢しまくるくらい好きなんだよ。」って

    頼む。頼むよ。
    頼むからこの文を半年前の俺に送らせてくれよ。
    頼むよ。お願いします

    「おやすみ。また明日な。」
    って言ってたじゃねえか
    バカ兄貴。


    18以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:05:43.96 ID:Xa4DiE8s0
    私がホテル勤めをしていた頃の話。
    ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
    披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
    自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
    自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には
    苦労を掛けていると思う事。
    たとたどしくですが話されました。
    同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが
    段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
    挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
    と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
    それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり
    直立不動で敬礼を送りました。
    おじいさんも見事な答礼を返されました。
    私はその後は仕事になりませんでした。


    22以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:14:41.03 ID:FdghsQgk0

    178 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 03:04:13.09 ID:87FHd7sw0
    今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
    行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
    俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
    「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

    ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
    あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
    俺もつられて笑っちまったよ。

    しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
    ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
    母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
    「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
    そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
    いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
    そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
    母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。


    俺、立派な社会人になるわ。


    23以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:14:47.19 ID:Xa4DiE8s0
    母上様御元気ですか
    永い間本当に有難うございました
    我六歳の時より育て下されし母
    継母とは言え世の此の種の母にある如き
    不祥事は一度たりとてなく
    慈しみ育て下されし母
    有難い母 尊い母
    俺は幸福であった

    ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
    幾度か思い切って呼ばんとしたが
    何と意志薄弱な俺だったろう
    母上お許し下さい
    さぞ淋しかったでしょう
    今こそ大声で呼ばして頂きます
    お母さん お母さん お母さんと



    特攻隊の遺書


    24以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:15:41.16 ID:Xa4DiE8s0
    自殺考えていた頃におふくろから電話

    ( ´・ω・`) 「かあさん・・・。オレが生まれた時どう思った・・・?」
           「そうねえ・・・。やっと会えたねって・・。それから・・。」(゚-゚*)
    ( ´・ω・`) 「・・・・・・?」
           「この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかなww」(゚-゚*)
    Σ( ´・ω・`) 

    ( ´:ω;`) 「・・・・・・・・・・。」
           「・・・・・?どうしたの アンタ?」 (゚-゚*)

    ( ´・ω・`) 「な・・・なんでもないよ じゃあね・・・。」

    電話切ったあとひたすら泣いた・・・・。オレに自殺する権利などない・・・・。
    オレは生きる・・・・。せめて親が死ぬより後に
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062135167/



    25以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:16:56.16 ID:FdghsQgk0
    幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
    母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
    土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

    娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
    遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

    ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
    プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

    野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
    招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
    なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
    ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
    母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

    俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
    新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
    やることもできた。
    そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
    「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。


    36以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:33:31.28 ID:ycNZiOaE0
    だめだ>>25みたいなん読んだら涙が止まらない


    26以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:18:15.16 ID:Xa4DiE8s0
    俺は親父が好きじゃなかった。
    お袋とだったら何でも話せるのに、
    親父と本音で話したことなんてなかった。
    親父は俺が18のとき死んだ。
    心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。
    その時は涙は出なかった。
    ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。

    俺が21のとき、いい加減親父の部屋を
    片付けようってなって家族で片付けていた。
    俺はワインを見つけた。
    俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。
    お袋は言った。
    ―お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで。
    なぜか涙が出てきた。

    俺は親父の墓前でそれを飲んだ。


    27以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:19:42.32 ID:Xa4DiE8s0

    29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 13:00:37.08ID:Dy1tXAiH0
    6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

    「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

    夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

    昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
    朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
    早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
    夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
    「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
    動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
    私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
    夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
    その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
    「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
    お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。


    30以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:21:51.60 ID:FdghsQgk0
    俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
    特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
    誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。

    高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
    家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
    「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・

    会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
    モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
    何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
    「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
    それが最後の言葉だった。

    「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
    スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
    母の炊き込みご飯が食べたくなる


    31以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:23:42.23 ID:FdghsQgk0
    3年前の話。
    当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
    いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
    子供が2人置いてかれてた。
    5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
    俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
    家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
    ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
    聞いても答えない。
    「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
    下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
    破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
    「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
    嫌な予感がした。
    だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
    2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
    「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
    すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
    すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
    近くの銭湯で体を洗ってやった。
    その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
    連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
    ・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
    俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。


    33以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:25:00.73 ID:VENoyKZn0
    カーチャンの七不思議
    夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
    夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
    俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
    俺が逆切れしても困ったように笑ってる
    俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
    いまだに俺の誕生日祝ってくれる
    俺より長生きしてくれない


    34以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:27:20.41 ID:FdghsQgk0
    うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。
    家のことなんて全くしない。
    子供のようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。
    私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたりとにかく気難しい。

    反抗期だった私はなんであんな性格なんだろうね、やってらんないよ~、と母に言ったら
    「A子(私)も一人前の年だから…」と母が話し出した。

    父の父親は戦争で亡くなった。父の母はそれが元で精神がおかしくなり、
    父の姉と父を連れて線路に飛び込んで心中を図った。助かったのは5~6才の父だけ。
    それからは知合い中をたらい回しにされ、いじめられ、大変な少年時代を送ったらしい。

    『だから性格がひねくれたんだねぇ(;´Д`)
     でも、何回も流産を重ねた後でA子が生まれた時、
    「天涯孤独な自分にも家族が出来た」って泣いたんだよ。
     お母さんは所詮、お父さんにとっては他人だけど
     A子はあの人にとって、一番の宝物だよ。』

    この話しを聞いたときは大泣きしてしまった。
    「家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない」と
    母に相談していた父の気持ちを思うと切なくて泣けた。
    お父さんに優しくしないとなぁ…


    35以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:30:40.31 ID:FdghsQgk0

    7 :1/2 :2008/12/18(木) 22:05:24.97 ID:n2EafhkbO?2BP(1090)
    両親が離婚し父親が赤ん坊の俺を預かっていたらしいけど、蒸発。本当の父親や母親は今どうしているのか解らない。

    親戚や従兄弟が居るかどうかも解らなくて気付けば施設で育っていた。

    小学校時代の授業参観日とか俺以外のクラスメイトの両親は皆来てるんだよ。


    37以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 22:59:08.90 ID:PL+gO2MI0
    俺たち小学校から高校までずっと一緒だったよな。
    高卒後俺は就職、お前はフリーター
    学歴社会の昨今「俺たちゃ負け組じゃねぇよな!がんばろうぜ!」ってよく鼓舞しあってたな…

    25歳になった頃…俺も初めての役職に就いた日…嬉しくてすぐに連絡したよな…その時お前の言った言葉
    「そんな普通な生き方楽しいか?」
    俺は悲しくて頭に来て言ったよ「25でフリーターやってるお前にはわからねぇよ」

    あの日から俺たちは連絡取らなくなって……もう14年か……お互い39なんてオッサンだな…

    実は来年娘が中学生になるんだ。俺もそれなりの役職にステップアップしたよ。

    お前はどうだ?……なんて聞かないよ……その身なりをみれば久々の訪問理由も想像つく…
    何も聞かないさ…持っていけよ…普通の40歳の給料2ヶ月分は入ってるからさ…
    「…スマン」お前の呟きも聞こえないふりをするよ…
    さぁ帰ってくれ…金は返さないでいいから…家族に見られたくないんだ…
    こんな姿の親友がいるなんて知られたくない…近所の目もある……

    何度も振り返り頭を下げて小さくなっていくお前を見ながら思った

    俺はいつから人目を気にするようになったのかな…親友を厄介者扱いするような人間になったのかな……
    俺たちゃ負け組じゃねぇよな…がんばろうぜ…


    38以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2013/06/29(土) 23:00:57.33 ID:PL+gO2MI0
    我が家の猫は帰宅する父を玄関で出迎えるのが日課だった。
    今日も夕方の定時になると玄関先にお座りしていた。
    でもな・・・もう待ってても親父は帰ってこないんだよ。
    スーツに毛が付くのもかまわずオマエを抱き上げてくれることはないんだよ。
    会社帰りのお土産の焼き鳥ももう味わえないんだよ。
    もう・・・やめろよ・・・たのむから・・・



    親父は定年退職でずっと家にいるだろうが



    39以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2013/06/29(土) 23:06:46.32 ID:npBI7d3e0
    >>38
    ワロタ



    http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1372508298/



    泣けるコピペとかあんのかよwwwwwwwwwwwww

    【不覚】ガチで泣いてしまったコピペ【号泣】

    何回見てもにやっとしてしまうコピペ

    ほんわかする外人コピペ貼っていこうず






    
                       
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    コメント

    無名の信者 2013年07月09日 21:54 ID:Rqxj8Opg0 ▼このコメントに返信

    最後のワロタw

    名無しさん 2013年07月09日 22:02 ID:WJyY91620 ▼このコメントに返信

    負け組だよ
    死ぬのが怖いから無様に生きるしかないん負け組だ
    希望なんてない
    だのに希望を囁こうとする奴は何もわかってない掛け値なしのクズだ

    無名の信者 2013年07月09日 22:43 ID:yablPVyq0 ▼このコメントに返信

    八で終了だた。

    無名の信者 2013年07月09日 23:10 ID:rGF.IjdV0 ▼このコメントに返信

    コメ欄にすげー厨二病がいる

    無名の信者 2013年07月10日 00:06 ID:c0Rri8G9O ▼このコメントに返信

    自殺未遂なんてバカなことをしたわ 母親の事を考えると涙が止まらない 今度は睡眠薬と練炭のダブルで確実にタヒぬわ 睡眠薬はいくら飲んでもタヒねないってわからなかったんや

    

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